赤穂浪士凱道3 一の橋から芭蕉記念館

両国橋の手前で左折した浪士は左に隅田川を見ながら南下してゆきます。近郊全体図から見ればこの両国橋を渡ると幕府お膝元の江戸城が近くに感じられ、またこの隅田川を幕府側からの防御として位置づけるため手前で曲がったのでしょうか??が、当初討ち入り後上杉勢と戦うようになれば見事討ち死にする覚悟なら防御も必要なかった??このあたりはよくわかりませんね??
道の左側を歩いて行くとすぐに小さな橋が有りちょっとした案内板などが有ります。案内板によると竪川から一番目に隅田川の橋なので一の橋と命名されたようで、赤穂浪士が討ち入り後一番目にわたった橋でも知られています。
一の橋を渡ってすぐ左側に江島杉山神社が有りその旧跡由来の案内板が見受けられます。
さらに南下しますと右側に橋が有り数分進むと右側に芭蕉記念館があります。
中に入ると芭蕉のいろいろなことが掲示されています。やはりこの土地ならでのことですね
芭蕉は奥の細道に旅立つ前はこの深川と呼ばれるところに住んでいたと言われています。旅たちの日芭蕉はこの近くから船に乗って奥州街道千住宿の千住大橋の近くまで渡ったも言われています。歩いてみるといろいろな旧跡に当たるものですね!
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