赤穂浪士凱道 吉良屋敷跡から両国橋へ

赤穂浪士は本懐を遂げた後吉良邸(本所松坂町公園)から泉岳寺まで歩いて行ったと言われています。吉良邸は総武線JR両国駅から歩いて5,6分でしょうか。歩行全体の大きな流れからすると屋敷跡から近くの回向院に進み隅田川に沿って川を下り永代橋をわたり

佃交差点あたりから築地に抜けそこから新橋駅を通り抜けて田町駅から泉岳寺に向かいます。途中に浅野家の旧跡や時折目にする旧跡等がいくつかあります。ナビを持ち進んでゆくのですが都会はちょっとどころか大変わかりにくかったです。両国から新橋までとその後の泉岳寺の2回に分けてゆきました。
さてこの吉良邸跡はさほど広いとは思われませんが江戸時代の吉良邸はだいぶ広かったようです。また吉良像を見ると大変穏やかな表情に見えました。実際はどんな人だったのでしょうか?
首洗い池もありました。また近郊には勝海舟の屋敷跡などもあります。線路を挟んだ反対側には両国国技館があります。
浪士一行は吉良邸を出た後回向院に向かったようです。といっても回向院はほんの目と鼻の先です。吉良邸脇の道を隅田川方面に向かいすぐ右折して京葉道路?にでてそこをまた隅田川方面に向かい回向院の正面近くに出たと思われます。一度はこの回向院に入って上杉勢を迎え撃つ。が、この回向院では門を開けられずに断られたのでやむえず両国橋付近まで進み上杉勢を待ったとかとも一部に言われていますが?待ちくたびれて主の墓泉岳寺に向かったと言われていますが?
両国橋の手前で左折して隅田川沿いに川下に進んでゆきます。
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