復古版旧奥州街道 古川編中央部2

復古版旧奥州街道 古川編中央部2

明治天皇の奥州街道巡行碑を後にして旧4号線をそのまま南下します。一部には旧奥州街道はこの旧4号線より少し西側でないかと言われています。もし西側ならかなり直線的になりそうですが現状からするとどのみちか特定できません。この方が江合の橋からわざわざ三江方向に曲がり戻るのが説明できそうですがどの道か特定することができません。
30分くらい旧4号線を南下すると108号線にであうちょっと手前の左側に黄色いポストがたっています。民本学者吉野作造の生誕の地と言われています。この黄色いポストは幸せの黄色いポストとして知られています。
おおむねその旧4号線の右側に古川十日町1里塚跡を示す石碑がたっています。小さいのでよく見ないみのがしてしまうでしょう。古川市街ではここだけでしょうか?市外に入ると旧跡もなかなかわかりにくくなってます。
十日町の一里塚跡


ここから約10M位南下すると108号線に当たります。そこを右に曲がります。
奥州街道古川の三江から江合の橋を渡り古川市街に入っていきます。この江合の橋部分は1600年代に半ば頃から橋が渡されたと言われています。下流には長瀬の船着き場があったと言われ現在その遺跡が大崎市民プールの南側にあります。米などをここから運び出したと言われてます。橋の上流は桜の目渡しがあったようです。となるとこの近郊に3つも渡しがあった時期もあるのでしょうか?
また江合の渡りも当時は現在の橋よりちょっと上流でなかったかとも言われています。そうすると三江の道路と直線的になりますが、古川の町並みからはどの道を来たのでしょうか?現旧4号線よりちょっと西側になりますが?
明治天皇御休息所

長瀬の船着き場

橋を渡り2つめのあたりの信号を左折すると大崎市民プールがあり、そのプールの南側には吉野作造記念館があります。
その2つめの信号をちょっと超えた右側に大きなスーパーがありますが、その先の道路沿いに明治天皇の奥州街道巡行碑がたっています。この部分で田植え踊りが披露されたとも言われています。明治のはじめですからまだこのあたりは田んぼのど真ん中だったのでしょう!

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