復古版旧奥州街道 大崎市古川南部編

復古版旧奥州街道 大崎市古川南部編

三本木古川間の多田川橋北上し渡ると奥州街道古川の宿に入ります。多田川橋から古川方向の右を見る土手が見えます。黒木土手でしょうか?橋を渡り終え、すぐ右側に広禅寺の案内があり右折します。数メートルで左古川、右黒木土手方面の小さな十字路があります。まっすぐ行くと師山場跡方面になります。案内はありません。古川入り口に1つのポイントがあります。それは黒木土手です。多田川橋を渡りながら古川宿に入ってすぐ右側に堤防あるいは土手らしきものがありますが、それが黒木土手と地元では言われています。その案内版は橋を渡ってすぐ左側の水処理場にあります。通常ではわかりにくく地元の人などにきかないとわかりません。旧奥州街道をそのまま古川方面に行ってしまうとここはわかりません。
黒木土手のいわれについては多田川、大江川の氾濫を食い止めようと徹夜で作った土手と言うことは位置からして奥州街道が黒木土手で守られたのかそれとも黒木土手の外側にあったのかが不明です。おそらく土手の外側ではないかと推察しますが・・・・・
仙台藩も少しは粋な計らいをしてもいいのではと思いますが、藩には藩の事情もあったのでしょうね。黒木のお殿様は栗原地方に配置換えになったとか?
そうでなくても明治天皇が奥州街道に視察に来たとき氾濫し、その旧跡モニュメントが三本木の鳴瀬川袂の御殿場森にあるのもうなずけなくない。
先ほどの小さな四つ角で、黒木土手を背後に、4号線と平行している細い道を北上すると目指す古川に入ります。


ちょっと師山城に寄り道します。さて今度は三本木から古川に入ったときの多田川橋をわたり、右側に広禅寺の案内があり右折した小さな4つ角まで戻り、4号線から入った状態で、右が黒木土手、左が旧奥州街道でしたが、そのまま直線的に進みますと10分くらいで師山城跡です。
この師山城は初代大崎氏の斯波家兼が居住して、奥州探題の礎を作った場所として知られています。今はちょっと高くなった平らな平地です。大崎氏、奥州探題が語られるときは師山城の話しはよく出てきます。一度は見ておきたいところです。

又奥州街道に戻ります。
今度は三本木から古川に入ったときの多田川橋をわたり、右側に広禅寺の案内があり右折した小さな4つ角まで戻り、4号線から入った状態で、右が黒木土手、左が旧奥州街道でしたが、左折してよいよ旧奥州街道古川宿に向かいます。左におだえ川の支流を眺めつつそのまま10分前後北上すると祇園社前のバス停のちょっと南側でまた旧4号線となります。旧街道はそのまま北上ですが祇園社前を右折して2分くらいで祇園八坂神社があります。北上すると右側に古川のコープがあります。そこの信号をそのまま北上して旧4号線とまた分かれます。旧4号と分かれた道路は以前旧旧4号線などと呼んでいたこともありました。寄り道なら交差点を過ぎた1つめのか2つめの道路を左折すると2分くらいで蛸薬師があります。旧4号線そのまま北上して陸羽東線と突っ切りますとすぐ左側に小さいながら西宮神社があります。その隣が瑞川寺となっています。
この西宮神社に古川宿安全・・・と記した石碑があります。文化**年のような気がしますが、江戸末期頃か?右側が *道*師 のような気がしますが?なかなか読めません。このようなものが出てくると奥州街道も概ねここを通過したかなと安心感が出てきます。多田川橋から西宮神社まで概ね40分くらいです。

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