復古版旧奥州街道 大崎市三本木編

復古版旧奥州街道 大崎市三本木編

復古版旧奥州街道 大崎市三本木編
大衡の駒場須岐神社は鎌倉幕府創設の頼朝がここで馬を止めて休んだので駒場と言われているとか?また一部には義経がここで馬をつないで休んだとかも言われています。かなり歴史の古い場所と思われます。

大和ー駒場ー三本木 はかなり歴史の古い街道であったと思われます。何とはなく歴史の重みを感じさせる神社の気がします。
須岐神社を後にしてそのまま進むと大きくカーブした曲がり部分に今度は明治天皇陛下が奥州視察の時休んだ場所があります。吉岡近郊ではわかりませんでしたが今後この御休息所などがいくつか出てきてかっての奥州街道であったことがあっちこっちでわかります。古川にもあります。さらに道なりに進むと正面に東北道が見えてきます。この東北道の手前に旧奥州街道の旧道案内のようなものがありますが現在はすぐ行き止まりになっています。のでそのまま進み東北道をくぐったらすぐに左折し東北道の脇をあるきます。東北道の中をのぞくと大崎市の標識が見えやっと大崎まで来たと感じます。歩くことは大変です。


大衡の駒場を過ぎてそのまま道に沿って進むと曲がり角部分に明治天皇が奥州視察に来たときの案内板があります。今回の道中ではここに表れたのが初めてです。今後いくつか出てきます。明治9,14年2回行われたようです。さらに数分進むと正面に東北道が見え手前には旧旧奥州街道跡がありますが、その先は行き止まりのようです。東北道を超えすぐに左に曲がり東北道に沿ってほぼ道なりに進みます。
大衡の須岐神社からここまで約30分かかっています。ここで約30分くらい時間をとり昼食し、ほぼ道沿いに北上し、伊賀南、伊賀北の橋などをわたりますが見晴らしもよくのんびり歩いていくと集落が表れ左側に三本木の伊賀一里塚が姿を現します。東北道の大崎入り口案内版から概ね30分くらいでしょうか。

この街道部分は車も充分すれ違える広さで大衡近郊への近道ではないでしょうか?
三本木の伊賀一里塚を過ぎたら道なりにほぼ東北道と平行して進み、車の流れが見える橋などを過ぎると東北道の三本木スマートインターチェンジに付き、その近郊場所は御殿森と呼ばれている。ここで東北道をまたぐ橋があるので渡ると仙台三本木線に突き当たるのでそこを左に曲がるとすぐ明治天皇東北巡幸記念碑があります。大衡に継ぎ今回2つめの記念碑です。記念碑の難しそうな文字 らんよ とは何なのでしょうか?調べてみると 天子のお乗りもの とありました。
さらにここには天皇陛下が多田川を渡ろうとした時氾濫していたので近郊の消防団が船を担いでわったた記念碑も並んでたっています。この船の渡しの記念碑は当初古川米袋にでき、それが倒壊したのでそれもかねてここに記念碑が建てられたようです。珍しい記念碑があるようですね!

伊賀一里塚から概ね10分くらいです。この場所からは大崎平野が一望に見渡せます。
御殿場森をでてそのまま道なりに行くと国道4号線に突き当たりそこを突っ切って進む。右には豆坂地蔵尊があり、その奥には三本木の道の駅がある。そこには亜炭記念館などもあります。その建物を囲い込むようにして進むと三本木の旧4号線になり、そこをほぼ道なりに進むと時折年代物の建物などがある。鳴瀬川の橋を渡ると三本木中心街になる。
三本木には古川との境目近くに一里塚があったと言われていますが探し出せませんでした。三本木北町の外れと言われていますが??です。そのまま進むとまた国道4号線に突き当たります。正面に旧カウボーイの建物が見えます。そこを右折して多田川の橋を渡り古川宿に入ります。次回はよいよ古川に入ります。
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