戊辰戦争 仙台藩参戦 その6

戊辰戦争 仙台藩参戦 その6

 
閏4月(この年は4月名が2回です)
  4日  下参謀世良より嘆願は白河にて申請せよとの通達
      世良、真田喜平太に降伏件等の書簡を送る
 10日  世良、岩沼総督府本陣白河移転布告
      この頃  荘内征伐の大山苦境に落ち総督府に援軍依頼する
 11日  奥羽諸藩白石城に集まる
 12日  会津藩降伏嘆願書を総督府に提出する
 15日  列藩、解兵を通知(総督府に戦線布告?)(なぜ通知?)
      白河で下参謀世良修蔵嘆願書を拒否を醍醐少将に送る
      大山から世良に手紙が届く??
 列藩同盟は総督府に会津嘆願書を出した後早々と会津攻撃の兵を説いている?この時点ではまだ嘆願書拒否がわからない時点と思われるのですが??すでにこの時点で総督府と敵対することを意識していたのでしょうか?それろもこの時点では嘆願書が受け入れられると読んでいたのでしょうか?
世良は15日に拒否を醍醐少将に送ったが列藩同盟が知るのは後のことと思われます。

岩沼城跡 宮城県

【サイト内関連内容】

 

 「戊辰」の検索結果
 「戊辰戦争 仙台藩参戦」の検索結果

 
【フレキシブル検索】
[myphp file=’./phplist20/menu21-01′]
カテゴリー別ランダム記事10
コメントは受け付けていません。