戊辰戦争 桜田門 東京都江戸城内

戊辰戦争 桜田門 東京都江戸城内

桜田門は江戸城の門の1つで、この地域が桜田郷といわれていたので名がついたようです。が幕末井伊直弼が水戸藩(当時は攘夷の総本家的存在)の脱藩士のよって襲撃されたのでよく知られています。当時は公武合体で幕府は朝廷に攘夷(外国の排斥)実行を約束していましたが、井伊直弼が外国の圧力に屈して日米修好通称条約を朝廷が承認する前に結んでしまいました。これらに攘夷派が反発しましたが直弼は弾圧を持って取り締まっていました。これらに業をいやした朝廷が幕府をとうさず水戸藩に幕府改革を求めた 戊午の密勅 を出しました。(砕けていえば諸藩と共同して幕府を倒せか?)水戸藩は密勅を幕府に返しましたが、水戸藩の攘夷過激派は宙に浮いてしまったため脱藩して井伊直弼を襲撃したようです。(1860年)これが桜田門外の変といわれています。こうした流れを受けて戊辰戦争とつながっていきます。

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桜田門

【外部リンク】

  戊午の密勅
  桜田門(外桜田門)

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