古川の小野小町伝説はどうなる?「玉造江に こぐ舟の・・・・
[myphp file=’serchgo10′]小町集(1000年前後に成立?)
陸奥の 玉造江に こぐ舟の 帆にこそいでね 君を恋ふれど
新勅撰和歌集(1232年前後に成立?)
みなと入りの 玉造江に こぐ舟の 音こそたてね 君をこふれど
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小町が東北の玉造江まで来たという和歌で、来かどうかはこの歌が一番わかりやすい和歌でないでしょうか?なぜならこの玉造江が大崎市岩出山近郊を流れている川と推測されているからでしょう。
【陸奥の 玉造江に・・・】 は残念ながら古今和歌集などではでて来ないようで、小町集のうち流布本系に登場していますが、異本系はでてないようです。
が、ここに1つの疑問があります。【陸奥の 玉造江に・・・】は本来作者不明であったものを新勅撰和歌集で小町作としたともいわれています。下記 外部リンク:ラフェットの備忘録 参照願います。
上記和歌が浮かび上がった年代からすれば小町集に表れた1000年前後が古く、新勅撰和歌集に出てくるのがだいぶ後1232年前後になって現れてきていますが、ということは先の方が本来の和歌なのでしょうか???
まずはこの歌の意味を推理してみましょう。
「玉造江に進んでいる船はばたばたと騒がしくしていますが、私はそのように表立って騒いでいませんがあなたを恋する気持ちは燃えたぎっています!」このような意味でしょうか?
この解釈からすればですが、これは返し歌で【君をこふれど】の【君】が近場にいてこの歌を読み取ってくれなければならないのでしょう!
もし陸奥に二人とも来ているなら相手にも十分気持ちが伝わることでしょう。が、片や陸奥方面で片や都だったら相手に伝わるのでしょうか??
小町の君とは 仁明天皇 在原業平 小野貞樹 安部清行 僧正遍昭 文室康秀等が考えられますが、都を離れて陸奥で二人一緒にいたことがあるのでしょうか?在原業平でさえ都は離れていないのでないかなどともいわれていますので・・・・・・
もちろん遠く離れた陸奥から愛しい人に向かって読んだとも考えられますが、落ちぶれた小町の歌をだれがみやこまで届けたのでしょう!
もちろん 【陸奥の 玉造江に】 と書けばこれは間違いなく大崎地方の玉造川(現江合川)と思われます。【みなと入りの 玉造江に】 となると果たして玉造はどこの??となりますが!玉造名称を見た場合 島根出雲地方、大阪難波、陸奥玉造(大崎市)があるようです。果たしてどこなのでしょう!
まだあるのか小町陸奥の和歌。
外部リンク:玉造団
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E9%80%A0%E5%9B%A3
外部リンク:ラフェットの備忘録
http://lafete-biboroku.seesaa.net/article/437073568.html