戊辰戦争 仙台藩参戦 その1

戊辰戦争 仙台藩参戦 その1

 
 1868年1月2日に始まった戊辰戦争、1月半ばには早くも仙台藩に会津討伐の勅命が下りました。各藩とも京には情報収集者を送っているものの薩長の反乱と見る向きもあったのでないかと思われます。特に京から離れている奥羽は収集に苦労していたのでないでしょうか?が、始まったと同時と言っていいくらいに仙台藩にこのような勅命が下るとは思っていなかったでしょう。
 このような状態の時仙台藩は会津に降伏謝罪を促す声と会津討伐の声とが対立します。仙台藩や東北各藩は当時は数年の不作等や蝦夷開発等で懐が厳しかったため状況を見れば戦争どころではありません。そのため出てきたのが会津を謝罪降伏に持ち込めればだったのでしょう!仙台藩が会津藩を降伏謝罪に持ち込み成功すれば、見方によっては政宗公以来のビッグチャンスだったのでしょうか?仙台60万石実質100万石といわれる東北の大藩仙台が薩長に十分対抗できる力を示すことができる??

仙台城跡 宮城県



 
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